第9回書游会書作展にお寄せいただいた感想(全文)

第9回 書游会書作展を見て   中村光子
所属している女性同人詩誌『らくだ(注)』の主宰者、小野静枝さんから書道展への誘いの手紙と一緒に、新聞の切抜きが届いた。切抜きには、矢田桂雪先生による作品解説がある。とあった。
話は前後するが、過日、小野さんは重みのある小さな包みを持参され「私が尊敬している矢田桂雪先生の銘が入った水注と文鎮です。書に関心の無い私の娘が持つより、あなたの娘さんに持ってもらうのが良いと思って。」と言ってくださった。
我が娘は、子供の頃に少し習字を習っていた。
今は、時々職場で賞状や行事の演題を書く位だが、強欲な私は有難く頂いたのだ。
書の世界に無縁で疎い私は矢田桂雪先生の名前を知る由もなく、尊敬する小野さんが尊敬される先生なのだから「大切にしなさいよ」と娘に言いきかせた。
 書游会会員の神庭玉嶺さかとは古くからの友人で、毎年「書游会書作展」の案内状を頂く。
今まで気がつかなかったが、案内状に矢田桂雪先生の名前が載っていた。
計らずも、小野さんからの誘いの書道展と同じであった。
 2月13日、小野さんと娘の3人で、早めに会場に入り、ひと通り作品を見てまわった。
私の作品を見る態度は不遜だ。まず知っている人の作品を中心にして、自分の好みの感覚で見るという乱暴さである。それでも自然に足が止まる作品がある。何がそうさせるのか、と近づいたり離れたりして眺めてみる。
 先生が会場に入られると、会場の空気が密になった。書道の解説を始めて拝聴する私にも緊張感が伝わった。
 先生の一点ずつの作品解説(私には批評という言葉のほうが身に添う)が始まると、一言一句は胸中の階段をカタカタと音をたて、納まる場所へおりていった。
 私事だが、仲間と詩の雑誌を発行して三十余年になる。発行ごとに合評会をする。今だ一度も欠かしたことはない。会員はお互いの作品を歯に衣を着せずに合評するので、おのずと酷評にになり、批評は全て受け入れるが、納得出来ず荒れることもある。
それはそれで合評は自由闊達なのが良い。合評のむつかしさも身を持って経験しているから、書游会が羨ましくついつい内輪話をしてしまった。だが、らくだの合評会は他の詩社に劣らないと自負している。
 会場内を移動しながら、次から次へと作品について、語られる先生の言葉が、そくそくと胸に吸い込まれる。音楽、絵画、彫刻、文学、スポーツ等々、全ての芸術に通ずるゆねぎない美意識から、昇華して溢れる先生の言葉を私は『詩のこころえ』として聞いた。
 制作態度、性格、日常生活までを、たった一点の作品から読み取り鋭く解説、批評される先生を、人垣の間から何度も見つめた。
作品に潜む魔物を引き出し、当の作者さえ気づかぬこと、気づいていてもあえて妥協していること、をも引き出し提示される。作者はあらためて自分の作品に向う。そのように批評されるのである。
 会場を出ると夕ぐれの気配がした。『矢田桂雪の世界』から抜け出せない三人は、それぞれ胸内で騒ぐ昂揚を抱きかかえ寡黙であった。
                                             きさらぎ 梅一輪ひらいた夜
注) 『らくだ』女性同人詩誌
 故・詩人、礒永秀雄主宰『駱駝』のあとを引き継ぎ、1976年創刊、2010年4月、130号に至る。

関連記事

PAGE TOP
PAGE TOP